努力と似て非なる言葉があります。
苦労です。自己犠牲と換言してもよろしいでしょう。
職場の先輩からのアドバイスや成功者の自伝を読んでよく耳にするのが

「若い時の苦労は買ってでもせよ」

こういう助言には気をつけないといけません。
なぜなら、苦労と努力を重ねて理解される方が多いからです。
苦労している感覚があるのであればそれは努力ではなくて、それは自己犠牲です。

自己犠牲とは、セルフイメージが低い人にありがちな自分のことを、「苦労」という鞭で打って痛めつける単なる自罰行為、自傷行為です。
苦労、より厳密に言えば自己犠牲の苦労は、精神的な苦しみのみ伴います。

努力
とは、目標や目的に向かってまい進することであり、それが楽しいか、苦しいかは人によります。大事なのは目標や目的に向かってまい進していると感じられるかにあるので、苦しみを伴うか否かは人の感じ方によるということです。

「若い時の“努力”は買ってでもせよ」には賛成ですが、「若い時の“苦労”は買ってでもせよ」には反対です。
努力しないと成功しませんが、苦労しなくても成功している人はいますから。
「若い時の苦労は買ってでもせよ」と言う成功者は、実はセルフイメージが低いので、そういう人からは学ばなくてもいいのです。

そういう人の助言を単純にうのみにしてしまうと、あえて自らイバラの道に入ってしまう、悲劇のヒーローのような人生になります。
そういう人生は、セルフイメージが低い人には共感されますが、セルフイメージが高い人からすると、「この人、なんで自分からイバラに突っ込んでいるの?」と意味不明に感じられるだけです。

世の中には、結果を出すための方法はたくさんあり、苦労という自己犠牲の道を選ばなくても結果は出せるわけですから。
努力しても結果が出ないこともありますが、結果が出ようが出まいが、努力そのものを楽しもうとする価値観・考え方に立たないと、心身共に長くは持ちません。

自分への追い込みがまだまだ足りない事が成果が出ない原因と自戒した挙句、完全な燃えつき症候群に陥ります。
その後に待っているのはうつ病が発症したり、自暴自棄になって心身を壊したりというリスクです。

努力には、精神的な苦しみがある努力と、精神的な苦しみがない楽しい努力と、2種類あることを認識しておきましょう。

社会問題との関係で考えると、パワハラやブラック企業の問題の要因の1つに、苦労(精神論的な意味でのやる気)と正しい努力の区別ができない上司や経営者の無神経な言動にある点も否定できません。

ここまで偉そうに書いてきましたが、執筆者自身も努力と苦労をよく間違えて行動してしまい、反省する事が多いです。
なかなか紙一重な面がありますので、結局のところ、自分をどう正しく分析し見極めるかだと思います。

また、人を管理する立場にある方も、まずは自分について努力と苦労の違いを理解して見極められているのか見直し、他人に対しても同じ目線で気を配るように注意して行動しましょう。